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大阪地方裁判所 昭和58年(行ウ)55号 判決

原告 堀井美吉 外一名

被告 大阪市長

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告が左の行為を怠ることは違法であることを確認する。

(一) 訴外大阪市旭区地域振興会高殿南連合第二振興町会に対し、別紙物件目録三記載の地蔵像を除去して同目録一記載の土地を大阪市に明渡せとの請求をすること。

(二) 訴外大阪市旭区地域振興会高殿南連合第四振興町会に対し、同目録四記載の地蔵像を除去して同目録二記載の土地を訴外高殿南校下社会福祉協議会に明渡せとの請求をすること。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

主文と同旨

第二当事者の主張

一  請求原因

1  原告らは、いずれも大阪市の住民である。

2  本件各地蔵像の存在

(一) 別紙物件目録(以下「目録」という。)三記載の地蔵像(以下「一心地蔵像」という。)について

(1) 大阪市は、昭和五三年ころ、当時木造であつた大阪市営大宮住宅及び大阪第二住宅を現在の耐火性の大阪市営高殿西住宅(以下「高殿西住宅」という。)に建替える事業を実施した際、付近住民をもつて組織された当時の大阪市旭区地域振興会高殿連合第三振興町会(以下「旧第三町会」という。)から、高殿西住宅の敷地内に地蔵像を建立するため右敷地の一部を無償で使用させてほしい旨の申入れを受け、同町会に対し、高殿西住宅第三号館敷地の北西角の一部である目録一記載の土地について、地方自治法二三八条の四第四項による行政財産の目的外使用許可をなし、旧第三町会は、昭和五四年二月、右土地上に一心地蔵像を建立し、右土地を使用している。

(2) 旧第三町会は、その後、町会の再編成により現在の大阪市旭区地域振興会高殿南連合第二振興町会(以下「第二町会」という。)になつた。

(二) 目録四記載の地蔵像(以下「満願地蔵像」という。)について

(1) 大阪市は、前記高殿西住宅建替事業の実施に関連し、当時の大阪市旭区地域振興会高殿連合第四振興町会(以下「旧第四町会」という。)から、当時、大阪市が建設を計画していた大阪市高殿老人憩の家・高殿地域集会所(以下「老人憩の家等」という。)の敷地である目録二記載の土地を、右町会付近の私有地内に建立されていた満願地蔵像を移設するため無償で使用させてほしい旨の申入れを受け、老人憩の家等の運営者であり、右土地の借地人である高殿南校下社会福祉協議会(以下「協議会」という。)に対して、協議会が目録二記載の土地を後記第四町会に対して転貸することを承諾し、第四町会は、昭和五六年八月、同土地上に満願地蔵像を移設し、右土地を使用している。

(2) 旧第四町会は、その後の町会の再編成により大阪市旭区地域振興会高殿南連合第四振興町会(以下「第四町会」という。)になつた。

3  原告らによる監査請求

(一) 原告らは、昭和五八年四月四日、大阪市監査委員に対し、前記各町会による両地蔵像の建立あるいは移設に伴う大阪市の所有土地の無償使用は、憲法の政教分離の原則、信教の自由の原則の著しい侵害であるとして、地方自治法二四二条一項に基づく大阪市職員措置請求をした。

(二) 右措置請求に際し、原告らは、次の理由により、地蔵像建立或いは移設のための大阪市有地の貸与は違法であるから、被告は、右各土地の貸借関係を直ちに解除し土地の返還を求める措置を講ずるよう請求した。

(1) 本件南地蔵は、礼拝対象としての設備を有し、明らかに仏教信仰に基づいて建立されたものであるから、町会が宗教上の組織若しくは団体といえないにしても、大阪市の行為は、公の財産を宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、その利用に供してはならないとする憲法八九条に違反する行為である。

(2) 大阪市は、両地蔵が礼拝の対象物であることを認識し、しかも地域住民と恒久的な関係をもつものであることを知りながら敷地を無償で貸与している。これがたとえ多数の宗教的意識に合致したとしても、そのことによつて、公の財産が少数の人々にとつて自己が信じない或いは反対する宗教の維持発展に用いられることとなり、更に、これは、その宗教に公的立場を与えることになり、少数者の良心の自由を侵害することになる。大阪市の行為は明らかに特定宗教に関与し、かつ、その維持発展を助長するものであるから憲法二〇条にも違反する行為である。

(三) 右請求に対し、大阪市監査委員は、昭和五八年五月二三日、地蔵信仰は仏教から出発したものではあるが、今日では宗教的色彩が著しく稀薄化し、地蔵尊は地域社会の中のお守り的な存在になつており、極めて習俗的行為に近いものと考えられるなどとし、地蔵像建立等のための大阪市による市有地の町会への無償貸与は憲法八九条及び二〇条には違反せず、したがつて地方自治法二四二条にかかる違法又は不当な財産の管理にあたるものでなく、請求人の主張は理由ないものとする監査結果の通知書を原告ら宛に発し、右通知書は同年五月二四日ころ原告らに送達された。

4  しかしながら、本件各地蔵像は、明らかに信仰の対象であつて宗教性をもつものであるから、右監査結果は、政教分離原則に違反する大阪市の行政を公認することとなり、地方公共団体である大阪市が地蔵信仰の根源となる仏教という特定宗教ないしその活動を援助、助長することになるといわざるをえない。大阪市の前記各行為が憲法八九条、二〇条三項に違反することは以下に述べるとおりである。

(一) 地蔵は、古代インドに起源する神で、仏教にとり入れられて地蔵菩薩となつた。仏教では、釈迦入滅後弥勒が下生するまでの無仏の時代に地蔵菩薩が六道(地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天)の衆生を救うことを委嘱され、修業僧の姿で出現するとしている。地蔵信仰は、インドから中国を経て奈良時代に日本に伝来し、平安時代後期から阿弥陀信仰と結びついて普及し、地獄の責苦から亡者を救つてくれる菩薩と信じられて上下の信仰をあつめた中世には、地蔵は、境神(サヘノカミ)と習合し、また子どもの守護神とされた。近世には、現世利益神として地蔵の十福(十種の福徳)が説かれ、極度に擬人化された。このように、地蔵信仰は、長い伝統と広がりをもつて現代に及んでおり、今日においても仏教信仰と不可分の菩薩信仰の一つであり、明確に宗教的性格をそなえている。

(二) ところで、本件各地蔵像は、次のようなものである

(1) 一心地蔵像は、新しく石で刻まれ、手に錫杖と宝珠を持ち、僧形をした地蔵の立像で、見上げる程の高さの大変目立つ位置に建つており、付帯設備として、花立て、線香台又は焼香炉、鉦、水を供える容器、賽銭箱などが配置され、正面から見て三箇所に大きく卍の紋がつけられている。また、ろうそくと線香とマツチとを入れた特製の箱が脇に置かれており、敷地外と思われる地蔵像の左側によだれかけと、奉納した人がかけておく柵といえるような鉄の棒を組んだものが立つており、三枚の奉納よだれかけがかかつている。一心地蔵像そのものにも赤いきれいなよだれかけがつけられている。一方、満願地蔵像は、コンクリート製の大きな基壇の上に建てられた小さな地蔵堂の中に納められた三体の地蔵像で、そのうち満願地蔵と称されるものは、正面にある二五センチメートル位の高さの座像で、室町時代ころの作と思われ、現在は甚だしく摩滅して、僅かに顔のあることと体の躯幹部分と手があることが判る程度のものである。その満願地蔵の右手に二体の小さな地蔵像があり、いずれも立像ではつきりした僧形をして合掌形であり、明治又は江戸時代後期ころに石工が大量に刻んだものと思われる。設備は、前記地蔵堂のほか、正面に卍がつけられた基壇に賽銭入れが固定され、堂の扉を開けると左右に小振りの提燈が下り、いずれも表に大きく地蔵尊、裏にやや小さい文字で町内安全と記されている。その他、金属製の蓮華台を含む蓮華一対と花台、鉦、水を供える器、ろうそく立て、燈明台一対、焼香台等がある。

(2) 一心地蔵像建立の目的は、戦災に遭つた地域の諸霊を慰めるとともに、地域の子供の守り神とするものであつた。そして、その建立に際しては、僧侶が参加して開眼式という儀式が行われた。この開眼式というのは、新たにできた仏像、仏画像などを堂宇などに安置する儀式をいい、俗に仏の魂を入れることと理解されており(広辞苑)、仏教の儀式の一つである。また、一心地蔵像の盆行事の状況は、地蔵像の辺りを賑々しく提灯や供物、その他のもので飾りつけ、多数の参加者が地蔵像に向つてそれぞれ数珠を手に持ち鈴を鳴らして御詠歌を合唱するのである。一方、満願地蔵像の移設の目的は、町内安全と家内安全を願い、従前、私有地にあつた地蔵像に永久安住の場を提供するものであつた。そして、移設に際しては、動座式という儀式が行われたが、その内容は、先ず「浄め式」を行つた後、地蔵像を台座に乗せて町内巡行に出発し、巡行を終えて現在の場所において安置式を行うというものであつた。そして、右巡行の前に僧侶が右地蔵像から「性根」を抜き、巡行の後に再び「性根」を入れた。また、満願地蔵像の盆行事の際には、昭和五七年まで近くの法栄寺から僧侶が来て読経をしていた。昭和五八年から僧侶が参加しなくなつたが、それは同年六月、原告らが本訴を提起し、本件地蔵像の違憲性を主張したため、被告や町会側が宗教色を少しでも減らそうとしてとられた一時的な裁判対策上の苦肉の策にすぎない。更に、本件各地蔵像は、日常、不特定多数の者が礼拝の対象としているのである。

(3) 被告が本件各地蔵像の建立、移設の目的と主張する地域のコミユニケーシヨンを図るという点は、死者の霊を慰め、地域の安全を願うという地蔵本来の目的に付随したものにすぎない。そのことは、高殿地域を守る会から提出された嘆願書(乙第四号証)にも諸霊を慰めて安全を祈願するとしか書かれていないことから明らかである。

(4) また、一心地蔵像が建立された直後の昭和五四年二月ころ、右地蔵像の右側に一心地蔵の由来と礼拝の奨励とが書かれた木製の看板が立てられていたため、そのころ、右建立自体について五〇名位の者が連署して大阪市に抗議をしたところ、直ちに右看板が撤去されたのであるが、このことは、大阪市が、町会を通じて積極的に地蔵信仰の宗教活動に関与しているとの批判を受けることを恐れてなされた措置とみるべきであり、いかに一心地蔵信仰が宗教性の強いものであるかを雄弁に物語るものであるといわなければならない。

(5) 以上の諸特徴を備えた本件各地蔵像は、前記(一)で述べた日本古来からの民衆に最も親まれた地蔵菩薩であり、仏教信仰の対象というべきものである。

しかるに、被告は、地蔵を寺院で祭つているものと道端に祭つているものとに区別し、後者は習俗である旨主張するが、地蔵信仰は、前叙のとおり、広く民間に普及した信仰であつて、仏教の各宗派、寺院と結びついて行われるものと、それらと離れて行われる地蔵講のようなものがあるが、いずれも地蔵信仰という意味では区別できず、一体のものと考えるべきである。しかも、本件各地蔵像は、単なる道端に祭つてあるのではなく、町会によつて堂々と市営住宅あるいは老人憩の家の敷地の最も目立つ場所に建立移設され、町会により管理されているのであつてなおさらの事といわなければならない。また、習俗とは、〈1〉そもそも宗教から発した行事風習であるが、それが宗教から発していることが忘れられ、或いはその意識が薄れ一般化していき、〈2〉一種のアクセサリーになつており、〈3〉世俗化し、抵抗がなく、〈4〉普編性ができて違和感がない、というものである。ところが、地蔵信仰は、明確な菩薩に対する信仰で強烈な性格をもつているものであり、これが一般の人に違和感がないというようなことは到底考えられず、本件各地蔵像も右のような信仰によつて建立されたものである。また、人は、地蔵が人間を超えたものであつて安全を守るなど、人間に種々の御利益を与える力があると思うからそれに祈願するのであつて、このような地蔵は世俗的ではない。門松とか豆まきの類は右の習俗と言えるが、地蔵は信仰の対象であり、地蔵の根本教義を像の背面に刻んでいるため、習俗の領域の問題ではなく、明らかに宗教の施設、宗教である。加えて、本件監査結果が出される前においても、更にそれが出された後においてさえも、大阪市当局から本件地域町会たる第二町会或いは第四町会に対し、度々地蔵像の撤去要求がなされたが、町会側が、「地蔵像を撤去すれば崇りがある。恐ろしい。殺される。第一地蔵像を運搬してやろうという運送業者がいない。」などと主張して頑強に抵抗し、撤去に応じないまま現在に至つている。この町会側の態度は、まさしく地蔵信仰の強烈さ或いは宗教性を見事に裏書しているものであつて「宗教性が稀薄化している」のとは正反対の現象である。

(三) 一方、憲法二〇条一項後段、同条三項及び八九条は、いわゆる政教分離の原則を採用し、国民の信教の自由を保障するにとどまらず、国家があらゆる宗教に対して中立であることを要求している。このような政教分離の原則に照らすと、憲法八九条は、宗教上の組織若しくは団体に対する公の財産の支出、利用を禁じているのみならず、広く信仰、礼拝、布教等の宗教的意義を有する事業ないし活動に対し、公の財産を支出し、利用させることが、当該宗教活動に対する援助、助長、促進等の結果をもたらす場合には、厳格な意味での宗教上の組織若しくは団体に対するものに限らず、これを一切禁ずる趣旨であると解するのが相当である。

したがつて、本件において、大阪市が、その市有地を旧第三町会(現第二町会)に対して前叙のような一心地蔵像建立のために無償で貸付けたり、また、大阪市が、協議会に貸付けている市有地について、旧第四町会(現第四町会)が右土地の一部に前叙のような満願地蔵像を移設するための協議会と旧第四町会との間の右土地の無償転貸借に同意を与えるが如きは、市有地上に、永遠にその信仰者の礼拝の対象を存続させることになり、仏教信仰、殊に地蔵信仰に対する援助、助長、促進になるといわねばならないから、右各町会が厳格な意味の宗教上の組織若しくは団体といえなくても、憲法八九条の「宗教上の組織若しくは団体」に該当するものとなり、かかる町会への公の財産の利用提供は、一切禁止されるものといわなければならない。

(四) 次に、憲法二〇条三項の「宗教的活動」とは、特定の宗教の布教、教化、宣伝を目的とする行為のほか、祈祷、礼拝、儀式、祝典、行事等および宗教的信仰の表現である一切の行為を包括する概念であると考えるべきである。

これを本件各地蔵像についてみれば、前叙のとおり、右各地蔵像は、日常の祈祷、礼拝の対象となり、また、地蔵盆とか、特別の場合には宗教上の儀式、祝典がとり行われており、これが宗教的活動であることは自明であるといわなければならない。そして、本件の各町会が憲法八九条の適用上、宗教上の組織若しくは団体といえることは前叙のとおりであるから、大阪市が宗教団体たる町会に対し、宗教上の礼拝、儀式等のためにその所有地の無償使用を承認していることとなり、結局、大阪市自身が、憲法二〇条三項で禁止された宗教的活動をしていることになるのである。

ちなみに、宗教的活動の意義について、最高裁判所昭和五二年七月一三日判決の多数意見に従い、国家が宗教とのかかわり合いをもたらす行為の目的及び効果にかんがみ、そのかかわり合いが我国の社会的、文化的諸条件に照らし相当とされる限度を超えるものと認められる場合に、これを許さない趣旨であると解するべきであるとしても、本件各地蔵像が市有地上に存立することは、地域社会の多数の宗教的意識から残された少数の者が、自己の所属する公共団体の所有財産を、自己の信仰しない宗教の維持発展のために使用されることを甘受しなければならない結果となり、少数者の人権に対する明白な圧迫、干渉となるほか、地蔵盆などは、地蔵信仰を持たない者に対し、苦痛や不快感や反発感を与え、コミユニテイーづくりに役立つどころか分裂のもとにもなりかねないのであつて、このような地蔵像の存在は、国家と宗教とのかかわり合いが相当限度を逸脱する場合であるというべきである。

(五) 以上のとおり、大阪市が、旧第三町会に対してした目録一記載の土地についての行政財産の目的外使用許可及び協議会に対してした目録二記載の土地を旧第四町会に対して使用転貸借することについての承諾は、いずれも憲法八九条及び二〇条三項に違反するので、右許可及び承諾は、いずれも地方自治法二条一六項により無効である。したがつて、大阪市の財産を管理する権限と責任とがある被告は、第二町会に対し一心地蔵像を除去して目録一記載の土地を大阪市に、第四町会に対し、満願地蔵像を除去して目録二記載の土地を協議会にそれぞれ明渡すよう請求すべき職務上の義務があるにも拘らず、被告は右各請求をすることを違法に怠つている。

5  よつて、原告は、被告に対し、被告が右4の(五)の後段記載の各行為を怠ることが違法であることの確認を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1ないし3の事実は認める。

2  同4の事実及び主張は争う。

三  被告の主張

1  憲法における政教分離原則

憲法二〇条一項後段、同条三項及び八九条はいわゆる政教分離の原則に基づく規定であるが、これらの規定は、いわゆる制度的保障の規定であつて、信教の自由を直接保障するものではなく、国家と宗教との分離を制度として保障することにより、間接的に信教の自由の保障を確保しようとするものである。しかるところ、宗教は、信仰という個人の内心的な事象としての側面を有するにとどまらず、同時に多方面にわたる外部的な社会事象としての側面を有するのが常であるため、現実の国家制度として国家と宗教との完全な分離を実現することは実際上不可能に近く、更にまた、政教分離を完全に貫こうとすれば、かえつて、社会生活の各方面に不合理な実態を生ずることとなる。かかる見地から考えると、前記各規定の解釈の指導原理となる政教分離原則は、国家が宗教的に中立であることを要求するものではあるが、国家が宗教とのかかわりあいをもつことを全く許さないとするものではなく、宗教とのかかわり合いをもたらす行為の目的及び効果に鑑み、そのかかわり合いが国の社会的、文化的諸条件に照らし相当とされる限度を超えるものと認められる場合にこれを許さないとするものであると解すべきである(最高裁判所昭和五二年七月一三日大法廷判決)。

2  憲法八九条違反について

(一) まず第一に、憲法八九条により禁止されるのは、「宗教上の組織若しくは団体」に対する公の財産の支出や供与であるが、右にいう「宗教上の組織若しくは団体」とは、その文言から明らかなように、少くとも信仰についての意見の一致があり、そのような信仰を目的とする人的集合体でなければならない。しかるに、本件において、大阪市がその所有地の利用を認めた相手方当事者は特定の地域の住民の親睦と相互扶助を目的とする町会であつて、信仰の一致を有する団体でないことはもとより、およそ宗教的な性格を有する団体ではないのであるから、本件が憲法八九条に該当するものでないことは、その余の点を論ずるまでもなく明らかである。もつとも、非宗教的団体の宗教的事業・活動に対する公の財産の供与であつてもその目的や形態あるいは規模にかんがみ、特定の宗教を援助することになる場合においては、それは実質的にはその宗教を仰ぐ宗教団体ないしは組織に対する公の財産の供与に該当することとなるので右規定に反することとなる。しかしながら、本件行為の目的、形態や規模は後述のとおりであつて、これが宗教団体あるいは組織に対する公の財産の供与の実質を有するものでないことは明白といわなければならない。

(二) 第二に、仮に、本件の各町会をもきわめて緩やかな「宗教団体」とみなした場合においても、大阪市による地蔵像のための本件土地の無償貸与は、憲法八九条に違反するものではない。

すなわち、政教分離の原則に関する前述の解釈に立つならば憲法八九条で制限される公の財産の供与は、その目的が宗教的意義をもち、その効果が宗教に対する援助、助長、促進又は圧迫、干渉等になるようなものに限定されるが、その判断に当つては、当該供与に基づいてなされる行為の外形的側面のみならず、当該行為の行われる場所、当該行為に対する一般人の宗教的評価、当該行為者が当該行為を行うについての意図、目的及び宗教的意識の有無、程度、当該行為の一般人に対する効果、影響等諸般の事情を考慮し、社会通念に従つて客観的に判断しなければならない(前記大法廷判決)。しかるところ、大阪市が前記各町会に対して本件各土地の無償の利用を承認したことは、右に指摘した諸点を次のように検討すれば、同条で禁止される公の財産の供与とは到底考えられないのである。

(1) 地蔵信仰の宗教的意義

地蔵信仰は、本来仏教すなわちインドから伝来した成立宗教に由来するものであるが、多神教的な日本人の宗教観念の下にあつて、我国古来の塞ノ神や中国の道祖神と習合し、あるいは各種の俗信と結びつくなどして、本来の仏教の教理を離れ現世利益、功徳本位の民間信仰としての性格を顕著にもつよう変質してきた。そして民間信仰である地蔵信仰は、教義・教典化されることも布教活動が行われることも、宗教専門家により祭祀が行われることもなく、地域住民の生活の中に溶け込み、民俗化し、宗教性自体稀薄化してきた。この結果、現在においては、寺院内に設置され、崇拝の対象とされている地蔵は別として、本件地蔵の如く寺院外に設置された大多数の地蔵は、管理されることなく放置されるか、地蔵盆や盆踊りといつた季節的な習俗行事に際し、その行事の一要素として地域住民に管理されているにすぎず、一方、このような地蔵に対し、通りすがりの人々が手をあわし、礼拝することもあるが、それは自らの地蔵信仰に基くというよりは、伝統的に日本人によつて礼拝されてきたものに対し、習慣的に手をあわしているのが、通常一般的である。従つて、寺院外に設置された地蔵をめぐる日本人一般の宗教的意識は極めて薄く、その意味において宗教的起源を有する門松やクリスマス、豆まきあるいは七夕といつた諸種の習俗、行事と何ら変るところがない。

(2) 本件各地蔵像設置の経緯

〈1〉 一心地蔵像

大阪市は、昭和五二年一〇月ころから昭和五四年一月にかけて、既設木造の大阪市営大宮住宅及び大宮第二住宅を、耐火住宅である高殿西住宅へ建替える事業を実施した。その際、旧第三町会(約八〇〇世帯)及び同町会の中でも特に建替事業により影響を強く受ける約六〇世帯で構成された「高殿地域を守る会」が、従来災害の多かつたこの地域の無事安全を願うため高殿西住宅の敷地内に地蔵像を建立したいとして、昭和五三年四月、大阪市に無償使用方を要望した。大阪市は、高殿西住宅の建替事業を円滑に進めるに当つて、地元の理解と協力が必要であること、地蔵像建立の目的が地域の安全を願うという住民に共通の妥当な願望であること、地蔵像の建立は地域社会におけるコミユニテイの場の一つになるものであること、町会等が宗教団体でないことなどを勘案して地元の要望に応えることとし、同年八月、建替事業に支障のない高殿西住宅第三号館敷地の北西角植込みの一部(目録一記載の土地)を、旧第三町会が地蔵像敷地として無償で使用することについて、地方自治法二三八条の四第四項に基づき行政財産の目的外使用を許可した。本件一心地蔵像は、右の許可に基づき旧第三町会が昭和五四年二月に建立したものである。

〈2〉 満願地蔵像

満願地蔵像は、戦前から、高殿西住宅の付近の私人所有地内に建立されていたものであるが、高殿西住宅の建替事業に関連して昭和五三年八月ころ、旧第四町会から大阪市に対し、当時大阪市が建設を計画していた老人憩の家等の敷地である市有地の一部に移設したい旨の要望がなされ、大阪市はこれに対し、一心地蔵像に関して記載したところと同様の理由により基本的に了解した。その後、大阪市は、昭和五五年五月、右老人憩の家等を建設し、直ちに同建物及びその敷地を協議会に対し使用貸借契約に基づき貸与し、昭和五六年六月、同協議会が、右敷地の一部(目録二記載の土地)を満願地蔵像移設のための敷地として、町会の編成替えにより旧第四町会を引継いだ第四町会に対し、無償で転貸することを認めた。本件満願地蔵像は、右の転貸承認に基づき、第四町会が昭和五六年八月に移設したものである。

(3) 本件行為の目的

〈1〉 大阪市が本件各町会に対して本件各地蔵像の建立、移設、運営のため本件各土地の無償の利用を承認した目的は、前叙のとおり、第一に高殿西住宅の建替事業を円滑に行う上で協力と理解を得なければならない地元住民の組織体である町会等の要望に応えるということであり、第二に地域社会におけるコミユニテイの場の創設に協力するということであつた。したがつて、大阪市の本件行為の目的が、専ら世俗的なものであつたことは明らかであり、一方、本件各町会が地蔵像を建立、移設し、あるいは運営しようとした目的も、地域の安全を願い、地元のコミユニテイを図るという極めて世俗的なものであつた。したがつて、大阪市あるいは本件各町会のいずれも地蔵像の建立・移設・運営を通じて、宗教に対する援助、助長又は圧迫、干渉を行う目的や意図などがなかつたことは明白であり、前叙のように、地蔵信仰自体が今日ほとんど宗教的な意義を有していないことに鑑みれば、本件地蔵像の建立・移設や運営につき、関係当事者においては、宗教的意識すら全くなかつたか、あつても極めて稀薄であつたといえる。

〈2〉 もつとも、町会等の要望を文書化した嘆願書(乙第四号証)中には、「諸霊を慰めると共に今後永久にこの地の安全を祈念致し度く思います」との記載があるが、これとて、死者をいたみ、地域の安全を願うことは、無神論者であつても有するところの人間としてごく一般的な、すなわち世俗的な感情のあり方を表現したものにすぎないのであつて、これをもつて宗教的であるとすることは、牽強付会の議論であるといわなければならない(そうでなければ、門松や豆まきなども超自然的な力に依拠して福を招き、禍を避けることを旨とするものであるから、これらも習俗ではなく宗教的行事ということになる。)。

〈3〉 また、本件行為は、原告ら主張のように、地域のコミユニテイの場を破壊するものではない。

仮に、地蔵像の存在について苦痛・不快を感じる者が存在したとしても、それは、町会に限らず集団において何らかの行動に出ようとするに際し少数の反対者の存在は免れないという一般的現象の現れにすぎないのであるから、そのようなことがありうることをもつて、地蔵像の存在がコミユニテイの破壊につながるとの主張は、不当というほかはない。逆に、本件各町会においては、地蔵像の設置あるいは移設について特段の反対者はなく、大多数の賛意に基づいてなされたものであり、また建立・移設後は、町会内のコミユニケーシヨンの拡大発展に寄与している。

〈4〉 以上のように、本件行為の目的において宗教的な意義が存在しなかつたことは明白である。

(4) 本件行為の効果

そもそも前叙のとおり、地蔵信仰自体が、仏教的な意義を失い、民間信仰として習俗化してきた今日においては、本件地蔵像の如く寺院外の地蔵像に対する一般人の宗教的意識は極めて薄いものといつてよく、したがつて、その存在が一般人の宗教意識に与える影響もまた皆無に近いのであるから、それが仏教に対する援助、助長となる、例えば地蔵像が存在するゆえに仏教徒が増え、あるいは既に存在する仏教徒の信仰心が深まるなどといつた事態が生じたり、あるいは仏教以外の宗教に対する圧迫、干渉になることなどおよそありえない。このことは、本件各地蔵像についても同様であつて、本件各地蔵像は、本件各町会により、建立、移設され運営されているのであるが、毎年八月二三・二四日の両日にその前で地蔵盆が行われるほかは、不特定人の参拝の対象となつているにすぎないのであつて、宗教の布教・宣伝といつた宗教的活動とはまず無縁といつてよく、今日の一般社会通念に照らす限り、その存在が、宗教に対する援助、助長、促進又は圧迫、干渉となつている事実は存しない。

これを詳述すれば、次のとおりである。

〈1〉 本件各地蔵像は、僧形をし、賽銭箱、花立て、線香台等が整えられ、あるいは地蔵盆に僧侶が招かれて読経をすることもあつたが、これらのことは、地蔵信仰が元々仏教に由来したことからくる形式にすぎず、そのため本件各地蔵像が宗教施設としての意義をもつわけではない。また、僧侶を招いたことも、特定の宗派、僧侶を指定したものでなく、招かれた僧侶も単に読経したのみであつて、特別の布教、宣伝活動をしたわけではない。しかも、昭和五八年以降は各町会とも、僧侶を招き、読経を行うことを中止している。

〈2〉 次に、本件各町会においては、地蔵像の日常の管理や地蔵盆の運営は、町会員の有志の手で行われるとともに、その費用も賽銭や寄附金で賄われており、いずれについても信条の異る者の意に反して負担を課した事実はない。また、仮にそのような可能性が存在したとしても、それはそのような負担を町会員に一律に課することの当否の問題であつて、地蔵像の存在自体からかかる事態が必然的に生ずるわけではないから、かかる可能性があることをとらえて本件地蔵像の存在が他の宗教に対する圧迫、干渉となるとはいえない。

〈3〉 また、本件各地蔵像が不特定人の参拝の対象となつているとしても、このような参拝行為の多くは仏教信仰に基づくものではなく、例えば朝日に手をあわせるのと同様超自然的なものに対して日本人が行う伝統的習慣的な挙動にすぎず、その宗教的意義は極めて乏しいものである。しかも、そこに何がしかの宗教的意識が存在したとしても、それは元々当該の者が有していたものであり、地蔵像の存在により初めて醸成されるというものではない。また、地蔵像の存在によつてそれが強化されるというものでもないから、地蔵像に参拝する者があることをもつて、地蔵像が仏教の宣伝・布教に資するものであるとはいえない。

(5) 以上のとおり、本件行為の目的及び効果に照らすならば、大阪市が本件各町会に対して、地蔵像の建立・移設あるいは運営のため、本件各土地の無償の利用を承認した行為は、我国の社会的・文化的諸条件に照らし相当とされる限度を超えるものでないことは明らかであり、憲法八九条で禁止される公の財産の供与には該当しないものといわなければならない。

3  憲法二〇条三項違反について

前項で詳述したとおり、本件各町会による本件各地蔵像の設置・運営は、その目的において宗教的意義はなく、その効果は宗教に対する援助、助長、促進又は圧迫、干渉とはならないのであるから、宗教的活動に該当するものではなく、したがつて、本件各町会の右行為のために大阪市が本件土地の無償使用を承認することも宗教的活動に該当しないことは明らかであるが、仮に地蔵像の建立・移設あるいは管理・運営行為を宗教的活動とみた場合においても、そのことから当然に大阪市の右行為が宗教的活動となる訳ではない。なぜならば、宗教的活動の範囲の広狭については争いがあるものの、その字句からも明らかなように、少くとも、それが宗教的信仰の表現である行為であることが必要とされるからである。しかるところ、大阪市の本件行為をみるならば、その目的は前記の如く極めて世俗的なものであり、またその行為の形態も本来、宗教団体ではない町会に対し、土地を貸与しあるいは土地の転貸を承認するというにすぎず、大阪市自体が、地蔵像の建立・移設・管理運営をしたわけではなく、また、その規模も極めて小さい(「一心地蔵」が約四平方メートル、「満願地蔵」が約七平方メートル)のである。これらの事実と、地蔵像の今日有する宗教的意義が前述のとおり極めて僅少であることを総合勘案すれば、大阪市の本件行為を大阪市の宗教的信仰の表現行為であるなどと考えることは到底不可能といわなければならない。したがつて、いかなる観点においても、大阪市の本件行為が憲法二〇条三項に反するものでないことは明らかである。

四  被告の主張に対する認否

1  被告の主張1は争う。

2(一)  同2の(一)は争う。

(二)  同2の(二)の(1)は争う。

(三)  同2の(二)の(2)の〈1〉〈2〉の事実のうち、大阪市が、本件各町会からの要望を容れるに際し、勘案した諸点は知らないが、その余の事実は認める。

(四)(1)  同2の(二)の(3)の〈1〉の事実のうち、大阪市が本件各土地の無償利用を承認した目的、本件各町会が地蔵像を建立、移設、あるいは運営しようとした目的は知らない。その余の事実は争う。

(2) 同2の(二)の(3)の〈2〉〈3〉の事実は争う。

(五)  同2の(二)の(4)、(5)は争う。

3  同3は争う。

第三証拠〈省略〉

理由

一  請求原因1ないし3の事実は当事者間に争いがない。

二  原告は、大阪市が本件各町会に対して大阪市所有の土地上に本件各地蔵像を建立、移設し、これを維持運営するため市有地を無償使用させている行為は憲法八九条、二〇条三項に違反するものである旨主張するので、以下、この点について検討する。

1  右当事者間に争いのない事実に、成立に争いのない甲第九ないし第一三号証、第二二、第二三、第二五、第二六号証、乙第一号証、第二〇ないし第二三号証、第二九号証、証人村上重良の証言により真正に成立したものと認められる甲第一号証(但し、後記採用しない部分を除く。)、証人藤井廣の証言により真正に成立したものと認められる乙第二号証、第一〇ないし第一五号証、証人坂口昇平の証言により真正に成立したものと認められる乙第三ないし第六号証、証人多田幸雄の証言により真正に成立したものと認められる乙第七、第二八号証、証人山中三郎の証言により真正に成立したものと認められる乙第八号証、証人鳥越憲一郎の証言により真正に成立したものと認められる乙第三一号証、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる乙第一六、第一七、第三二号証、一心地蔵像を撮影した写真であることに争いがなく、証人北尾欣三の証言により同人が昭和五八年三月に撮影したことが認められる検甲第一号証の一、二、弁論の全趣旨により野口周爾が同年八月二三日に撮影したことが認められる検甲第三号証の一ないし四及び同人が昭和五九年九月二五日に撮影したことが認められる検甲第六号証の一ないし六、満願地蔵像を撮影した写真であることに争いがなく、弁論の全趣旨により吉積衛が昭和五四年五月に撮影したことが認められる検甲第二号証、野口周爾が昭和五八年八月二三日に撮影したことが認められる検甲第四号証及び同人が昭和五九年九月二五日に撮影したことが認められる検甲第七号証の一ないし三、地蔵盆の状況を撮影した写真であることに争いがなく、弁論の全趣旨により西村和英が同年八月二四日に撮影したものであることが認められる検乙第一ないし第九号証、証人北尾欣三、同山中三郎、同村上重良(但し、後記採用しない部分を除く。)、同坂口昇平、同多田幸雄、同藤井廣、同鳥越憲一郎の各証言並びに弁論の全趣旨を総合すれば、次の事実が認められる。

(一)  大阪市は、昭和五二年一〇月ころから昭和五四年一月にかけて、既設木造の大阪市営大宮住宅及び大宮第二住宅を、高層耐火住宅である高殿西住宅に建替える事業を実施した。その際、付近住民をもつて組織された旧第三町会の構成員の中で特に建替事業によつて影響を受ける約五四世帯が昭和五三年三月、「高殿地域を守る会」(以下「守る会」という。)を結成し、旧第三町会の構成員全員に代わつて大阪市との間の折衝に当つていたが、その交渉の過程で、右守る会は、従来、災害の多かつたこの地域の無事安全を願い、併せて地域のコミユニケーシヨンを図るため、高殿西住宅の敷地内に地蔵像を建立したいとして、同年四月、大阪市に対し、右敷地の一部を無償で使用させてほしい旨を申入れた。守る会は、右要望を出すに当たり、委員会を組織して審議し、他の地域との比較から、住民に抵抗感や異和感を与えない比較的に無難なものとの考えから地蔵像を建立することを選んだ。大阪市は、右申入れを受け、高殿西住宅の建替事業を円滑に進めるに当つては地元の理解と協力を得ることが必要であり、そのためにはできる限りその要望を聞入れた方が得策であること、地蔵像建立の目的が地域の安全を願うという住民に共通の妥当な願望であること、地蔵像の建立は、地蔵盆、盆踊りなどの習俗的行事が伴うだけで宗教的色彩が稀薄であり、これら行事により地域社会におけるコミユニテイーの場が醸成されると考えられたこと、町会が宗教団体でないことなどを勘案して地元の要望に応えることとし、同年八月、旧第三町会に対し、右高殿西住宅の敷地内の植込の一隅で歩道に面している二メートル四方の目録一記載の土地を、旧第三町会が地蔵像敷地として無償で使用するについて、地方自治法二三八条の四第四項に基づき、口頭で行政財産の目的外使用を許可(後に、昭和五八年七月四日付書面により右許可がなされた。)する旨を通知した。旧第三町会は、右許可に基づき、同町会の会員からは特に反対を受けることもなく、主として守る会会員からの寄附金により愛知県岡崎市の石工団地から地蔵像を購入して昭和五四年二月に右土地上に一心地蔵像を建立した。もつとも、右地蔵像建立に際し、その敷地の傍に地蔵の由来と礼拝の勧め等を記載した看板が立てられたが、大阪市は、右看板が使用を許可した土地の範囲外に存していたので、守る会に対し、その撤去を求め、間もなく、同会によつて右看板が撤去された。その後、同年三月初めころ、住民の一部から大阪市長に対し、地蔵像の建立は政教分離の原則に反する旨の抗議文が提出されたが、大阪市は、地蔵像自体は習俗的なものにすぎないとしてこれを受けつけなかつた。その後も原告ら及び反対派の一部住民から、大阪市に対し、再三抗議や要望がなされたが受入れられるに至らなかつたため、反対派の一部住民は、昭和五八年四月四日、後記の満願地蔵の問題を含め、大阪市監査委員会に対し大阪市職員措置請求をし、本件各地蔵像は憲法八九条、二〇条に違反する旨申立てたが、同監査委員会は、同年五月二三日、本件各地蔵像は習俗的行為と化していることを理由に右請求を棄却した。

(二)  一方、満願地蔵像は、戦前から高殿西住宅付近の私有地に建立され、従来は、旧第四町会の役員によつて構成された地蔵委員会により、毎年八月に地蔵前の道路において盆踊りを行うなどして運営され、日常は近所の老女が掃除をしたり、水を供えるなどして管理し、右地蔵委員会から毎年一回、同女に対し、若干の心付が渡されるなどしていたものであるが、高殿西住宅の建替事業に関連して、前記私有地の所有者が移設を希望していたことと併せ、祠が老朽化していたこと、地蔵の前の道路の幅員が狭く、盆踊りのときは不便であつたことなどの事情から、昭和五三年八月ころ、旧第四町会から大阪市に対し、当時、大阪市が建設を計画していた老人憩の家等の敷地(市有地)の一部に右地蔵像を移設したい旨の要望がなされ、大阪市は、昭和五四年八月ころ、一心地蔵像の場合と同様の理由により、旧第四町会に対し、口頭でこれを了解する旨伝えた。その後、大阪市は、昭和五五年五月、右老人憩の家等を建設し、同建物及びその敷地を協議会に対し貸与し、昭和五六年六月、協議会に対し、同協議会が右敷地の一部である目録二記載の土地を満願地蔵像移設のための敷地として、旧第四町会を引継いだ第四町会に無償で転貸することを承認した。なお、右転貸の許可は、昭和五八年七月四日付の書面により正式になされたが、先に、一心地蔵像建立に際し、一部の住民から抗議や監査請求が出たこともあり、大阪市は、右書面により、地蔵盆、盆踊り等の行事に際しては、社会の一般通念に照らし習俗の範囲を逸脱する宗教的色彩のある行為は慎しみ、無用な誤解を招かないよう注意をすること、地蔵設置に関連し、特定の宗教の援助、助長、布教、宣伝又は圧迫、干渉等となるとの批判を招かないよう注意すること、などの許可条件を付加した。第四町会は、前記転貸承認に基づき、昭和五六年八月、有志からの寄附金を募り、右土地上に満願地蔵像を移設した。

(三)  右のようにして、建立、移設された本件各地蔵像の現状及びこれに伴う行事は次のようなものである。

(1) 一心地蔵像は、新しく石で造られ、手に錫杖と宝珠を持ち、僧形をした地像の立像で、見上げる程の高さであり、付帯設備として、花立て、線香台又は焼香炉、鉦、水を供える容器、賽銭箱などが配置され、正面からみて三箇所に大きく仏教のシンボルである卍の紋がつけられている。また、ろうそくと線香とマツチとを入れた特製の箱が脇に置かれている。また、満願地蔵像は、コンクリート製の大きな基壇の上に建てられた小さな地蔵堂の中に納められた三体の地蔵像で、そのうち、満願地蔵といわれているのは正面にある高さ約二五センチメートルの座像で、長年月を経て現在は顔と躯幹部分と手があることがわかる程度に甚だしく摩滅しているが、残る二体は僧形をした高さ約一〇センチメートルの立像である。基壇と地蔵堂は、前記移設に当り新設されたものである。また、付属設備は、右地蔵堂のほか、正面に卍が印された基壇、賽銭箱、金属製の蓮華台を含む蓮華一対、花台、鉦、水を供える器、ろうそく立て、燈明台一対、焼香台等がある。そして、本件各地蔵像は、日常、時には通りがかりに礼拝する者もあるが、特定の寺院、宗派に属するものではなく、教義教典化されているわけでもなく、積極的な布教活動も行われていない。

(2) 次に、一心地蔵像建立に際しては、僧侶が参加して開眼式が行われ、その後、毎年八月二三日と二四日の二日間にわたつて地蔵盆の行事が行われている。右行事は、前記守る会が主催し、昭和五四年八月から行われ、詠歌の合唱と近所の子供達に菓子をすそわけするなどの行事が行われている。そして、詠歌の合唱は、近所の老人が集り、尼僧に先導してもらつていたが、昭和五八年からは近所の老人達のみで行つている。もつとも、昭和五八年の盆行事は、一心地蔵像建立の五周年ということで、多数の提灯を吊り、金魚すくい等の夜店を出すなど盛大に行われた。また、地蔵の日常の管理は、近所に居住している守る会の元会長夫婦が毎日掃除をし、花を替え、線香、ろうそくの取替えなどをして行つている。このような運営、管理に要する費用は、住民からの寄附金と賽銭とによつて賄われているが、住民に寄附金の拠出を強要したことはない。一方、満願地蔵像の移設に当つては、先ず「浄め式」を行つた後、地蔵像を台座に乗せて町内を巡行し、現在の場所で安置式が行われた。そして、右巡行の前に僧侶が地蔵から「性根」を抜き、巡行の後に再び「性根」を入れるという儀式を行つた。その他、満願地蔵像の行事は、第四町会が主催する年一回の盆祭りがある。これは、八月二三日と二四日の二日間にわたつて行われ、初日には近所の法栄寺の僧侶が読経をし、初日と二日目の夕方に盆踊りを行うものである。もつとも、昭和五八年の盆祭りからは、僧侶による読経は止められた。また、日常は、近所に住む老人会の会長が掃除をするなどして管理をし、これに対して、移設前と同様に、毎年一回、第四町会から若干の心付がなされている。そして、これら祭りや日常管理に要する費用は、有志からの寄附金と賽銭により賄われている。また、寄附金の拠出が強要されたことがないことは前同様である。

(四)  第二町会(旧第三町会)、第四町会(旧第四町会)は、町(丁目)の区域に居住する者又は事務所、事業所、営業所を有する者をもつて構成された、いわゆる町内会といわれる組織体であり、その活動の目的は、市区行政の円滑と日本赤十字社の事業に協力し、地域の連帯感をたかめ、地域社会の福祉の増進と、その向上発展を図るというものである。また、守る会は、前叙のとおり、第二町会内の約五四世帯で構成された同町会の一部に属する組織体であり、同会独自の活動は、前叙のとおり、地蔵盆を主催することのほか、年一回のレクリエーシヨンとして、日帰り旅行を企画する程度のものである。

(五)  ところで、地蔵菩薩は、大乗仏教に説く菩薩の一つで、中国を経て日本に伝わつた。地蔵菩薩は、釈迦入滅後の五六億七〇〇〇万年後、未来仏として弥勒仏が出現するまでの無仏世界で、みずから地獄に住し、地獄に苦しむ衆生を救済することを本願とする菩薩とされていたため、政治社会の混乱と腐敗を目のあたりにし、末法思想が流行した平安時代末期、地獄変の恐怖におびえていた民衆の間に地蔵菩薩の信仰が広まつた。そして、大慈悲をもつて地獄に落ちる民衆を救う地蔵菩薩の像が、親しみのある僧形の姿であつたため、人々は、身近なものを感じ、現世利益、功徳本位の信仰をつのらせることになつた。例えば、地蔵菩薩が地獄に住するということから、閻魔王と一体と考えられ、現世と冥府の境に立つて救済する地蔵菩薩は、村の境界で悪霊の侵入を防ぐ神、すなわちわが国の塞ノ神と習合した。そして、その塞ノ神が、行路の守護神である中国の道祖神と習合し、地蔵菩薩は道祖神ともみられ、道の辻・峠・橋のたもとなどで祀られるようになつた。また、地獄に落ちるのを救つてくれるという地蔵菩薩の信仰から、現世と冥府の境界である墓場の入口に、六体の六地蔵をおく習俗ともなつた。それは、地獄から天界までの六道の衆生を救うという思想から出たものであるが、六地蔵の信仰は、葬送儀礼の中で考案された日本的な発想であつた。更に、劣弱な者を救うという地蔵菩薩のもつ属性から、とくに子供の救済主としてみられるようになり、子供を対象にした子安地蔵・子育て地蔵・夜泣き地蔵・腹帯地蔵などの呼称をもつ石地蔵が、各地でつくられた。また、地蔵菩薩が苦難にあえぐ者の身代わりになるということから、多くの身代わり地蔵が生じた。例えば、老女が地蔵さんにいつも食べ物を供えていたが、作男が来ないので田植えができず、地蔵にお願いしたところ、翌朝に田がすつかり植えられ、田の中に鼠の足跡のようなものがついていた。そこで地蔵さんの仕業かと思つて帰つてみると、石地蔵の足に土がついていたという土付き地蔵・泥足地蔵・田植え地蔵と呼ばれる伝説が、ひろく各地に伝えられている。また戦場で身代わりとなつて救つてくれたという矢取り地蔵・勝軍地蔵もある。このほか地蔵に願いの約束を守つてもらうため、地蔵を縛る縛られ地蔵というものまで生じた。このように地蔵菩薩にかかわる多くの霊験談をはじめ、説話伝説や俗信は列挙すると限りがないほど多数ある。そうした信仰から、道端や野に安置されている石地蔵・俗に野仏といわれるものが公有地、私有地の別なく全国のいたるところに存在する。

ところで、全国に多数存在する地蔵像は、寺院に安置されているものと、道端や野など寺院外にあるものとがある。このうち寺院の地蔵は、仏教の宗団組織がその布教の上で信仰礼拝の対象物として設置管理するもので、末法思想や地獄で苦しむ衆生を救済することを本願とする地蔵菩薩に関する仏教上の教義思想を色濃く残すものである。一方、寺院以外にある地蔵の多くは、一般庶民の間で仏教宗団その他の宗教組織とは無関係に、元来の仏教教理が変質させられ、様々な現世利益的な霊験談、俗信が生まれ、一般庶民がこれを信仰し、その対象物として設置したものである。そして、この信仰は、教義・教典化されることも、布教活動が行われることも、宗教専門家により祭祀が行われることもなく、ただ一定の地域住民が、日常生活の中で自ら創り出した儀礼行事を行うとともに、様々な説話伝説、昔話、童謡等を媒介として生成発展させ、伝承してきたもので、長年月にわたつて世代から世代へこうした儀礼行事、伝承が繰り返される結果、地域住民の生活の中に溶け込み、民俗化し、そのため仏教としての宗教性も稀薄化してきた。すなわち、大多数の地蔵は管理する者もなく放置されるか、地蔵盆や盆踊りといつた季節的な習俗行事に際してのみ地域住民に管理されている。このような地蔵は、通りすがりの人々が手をあわし礼拝することもあるが、それは自らの地蔵信仰にもとづくというよりは、何世代にもわたつて伝統的に日本人によつて礼拝されてきたものに対し習慣的に手をあわしているというのが通常一般的であり、また地域住民が地蔵盆や盆踊りに参加するのも、伝統的、因習的な習俗行事に参加するというのが一般的な意識であり、これらの行事は、一般の人々にとつて、夏の終り、秋を迎えるころの風物詩、季節行事と受けとめられている。

このように多神教に基づく日本人の宗教観念では、信仰する神仏の多様性から、教義、教典の枠をこえて民間信仰の対象にすることができ、庶民の間に普及すると日本人の生活感情の中にたやすく溶解して如何様にも自由に変化させ、本来の信仰とは異質なものを形づくることとなる。そうした古来からの民間信仰に基づく行為は、現在の日本人にとつては伝統的習俗として許容され、精神文化の一端を占めるに至つている。

以上の事実が認められる。甲第一号証の記載及び証入村上重良の証言中右認定に反する部分は採用し難く、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

2  ところで、憲法二〇条三項により禁止される宗教的活動とは、国及びその機関の活動で宗教とのかかわり合いをもつすべての行為を指すものではなく、そのかかわり合いが、行為の目的及び効果にかんがみ、我国の社会的、文化的条件に照らし相当とされる限度を超えるものに限られるのであつて、当該行為の目的が宗教的意義をもち、その効果が宗教に対する援助、助長、促進又は圧迫、干渉等になるような行為をいうものと解すべきである(最高裁判所昭和五二年七月一三日判決)。

そこで、右基準に照らして大阪市が各町会に地蔵像の敷地として市有地を無償貸与した行為が憲法二〇条三項によつて禁止される宗教的活動に当るか否かについて判断する。

前記1で認定した事実によると、一心地蔵像は、僧形をし、手に錫杖と宝珠を持つた地蔵の立像であり、満願地蔵像は、摩滅した地蔵の座像と二体の僧形をした地蔵の立像で、いずれも付属設備として、花立て、線香台、鉦、水を供える器、賽銭箱などが備えられ、仏教のシンボルである卍の紋が印されているなど、仏教の形式に従つたものであり、もともと地蔵が仏教に由来するものであることからみてもその宗教的色彩を全く否定することはできないものであつて、大阪市の右各行為が宗教とのかかわり合いをもつ行為であることは否定しえないところである。

しかし、前記認定事実によれば、地蔵信仰は、中国を経て日本へ伝来した仏教の地蔵菩薩が、身近に親しみを覚えさせる僧形をした菩薩であつたため、末法思想や地獄で苦しむ衆生を救済することを本願とする地蔵菩薩に関する仏教教理が変質化し、庶民の素朴な信仰として、現世利益、功徳本位の信仰として発展してきた側面がある。ことに、寺院以外にある地蔵は、一般庶民の間で仏教宗団その他の宗教組織とは無関係に設置され、教義教典化されることも布教活動が行われることもなく、地域住民が儀礼行事を行い、これらの行事、伝承が長年月にわたつて繰り返されて地域住民の生活の中に溶け込み、民俗化し、仏教として宗教性も稀薄化してきたのである。そして、これを本件各地蔵像についてみれば、一心地蔵像は、地域の無事安全を祈願することを目的として建立され、また、満願地蔵像も、移設の直接の目的が、元の所在地の所有者からの希望と、盆踊りの便宜のため等にあつたにせよ、移設し維持してゆく目的の一つには、右一心地蔵像と同様の功徳を求める思想が存在していたことが容易に推認されるのであり、更に、本件各地蔵とも、教義、教典化されたものはなく、日常礼拝する人がいるものの、その礼拝は、伝統的に日本人によつて礼拝されてきたものに対して習慣的に手を合わしているにすぎず、各地蔵の行事も、年一回二日間の地蔵盆の行事がなされているだけで、これらの行事は、一般の人々にとつては秋を迎えるころの風物詩として、季節行事と受けとめられており、その参加者の意識としても右行事に宗教的意義を認めないのが一般であると思われるのである。このように、本件各地蔵像は、日本に伝来した後、元来の仏教教理が変質化されて庶民の間に広く流布した現世利益、功徳本位の地蔵信仰そのものであつて、かかる古来からの民間信仰に基づく行為は、現在の日本人にとっては伝統的習俗と化して仏教としての宗教性は稀薄化しているものと認めることができる。

また、前記認定事実によると、大阪市の本件各行為は、自ら地蔵像を建立、移設し、これを維持管理するとか、関連行事を主催するとかいうものではなく、旧第三町会に対し、市有地に一心地蔵像を建立するため、その無償使用を許可し、あるいは、協議会に対し、第四町会が市有地に満願地蔵像を移設するための転貸を承認したというにすぎないものであり、大阪市が右各行為に出たのは、高殿西住宅の建替事業を円滑に進めるに当つて、地元の理解と協力を得ることが必要であり、そのためにはできる限り地域住民の要望を聞入れることが得策であること、地蔵像建立、移設の目的が地域の安全を願うという住民に共通の妥当な願望であること、地蔵像の建立は、地蔵盆、盆踊りなどの行事が伴うことにより地域社会におけるコミユニテイーの場が醸成されると考えられることなどの点を勘案したからであつて、大阪市の右各行為の目的は、もつぱら建替事業の円滑な進行と地域住民の融和の促進という世俗的なものであつたと認められる。

更に、前記認定事実によると、第二町会(旧第三町会)及びその内部組織である守る会並びに第四町会(旧第四町会)(以下これらを一括して「本件町会等」ともいう。)の性格、活動目的は、いずれも町(丁目)の区域の住民等によつて構成された組織体で、市区行政の円滑と日本赤十字社の事業に協力し、地域社会の連帯感の高揚、福祉の増進と発展を図るというものであり、このような本件町会等によつて自主的に本件各地蔵像が建立、移設され、盆祭り、盆踊りなどの行事が運営されているのであるが、本件町会等が本件各地蔵像を建立、移設した目的は、地域の無事安全を祈願し、併せて地域住民のコミユニケーシヨンを図るというものであり、また、本件町会等が本件各地蔵像を維持、運営するに要する費用は、有志からの寄附金と賽銭によつて賄われ、行事としては毎年八月二三日と二四日の二日間の地蔵盆の行事が催されるのみであり、他に宗教色を帯びた儀式や活動は行われていないのである。もつとも、本件各地蔵像の建立、移設時には僧侶が参加した「開眼式」や「浄め式」が行われ、その後、昭和五七年までは、地蔵盆行事に際して尼僧による詠歌の先導や僧侶の読経などが行われていたが、昭和五八年からは尼僧や僧侶の参加は取り止められ、住民だけでこれらの行事を行うようになつているのである。そして、右のような建立、移設時の儀式や、地蔵盆行事のときの尼僧や僧侶の参加も、前認定の地蔵信仰の今日的状況に照らせば、いずれも地蔵信仰が仏教に由来するものであるため仏教の形式を借りたにすぎないものと認められるのである。また、本件各地蔵像は、通りすがりに礼拝をする者があるのであるが、それも、前認定のとおり、伝統的に礼拝されてきたものに対し、習慣的に手を合わせているというのが一般的であると認められ、しかも、右のような習慣的な礼拝にせよ、本件町会等が、これを求め、奨励するような活動を行つているわけではない。もつとも、一心地蔵像の建立時、地蔵の由来と礼拝を勧める趣旨の看板が立てられたことがあつたが、これとて積極的な宗教的活動というに値せず、しかも、間もなく右看板は大阪市の要請により撤去されたのである。更に、大阪市は、一部住民から本件各地蔵像の建立、移設について反対運動を受けたため、協議会に対し、満願地蔵像移設のための市有地の第四町会への転貸を書面で承認するに際しては、地蔵盆等の行事に際しては習俗の範囲を逸脱しないこと、地蔵の設置に関連し、特定の宗教の援助、助長、布教、宣伝、又は圧迫、干渉等となるとの批判を招かないよう注意することなどの許可条件を付加したのである。以上のような本件町会等の性格、目的、本件町会等による本件各地蔵像の維持、運営の目的、方法、その主催する行事の性質、大阪市の本件各地蔵像設置についての関与の度合、本件町会等に対する措置及びこれらの事実から推認される関係者らの本件各地蔵像から宗教色を極力排除しようとする意識、姿勢、並びに前認定の地蔵信仰の今日的状況等を総合すれば、本件町会等が、宗教性が稀薄となり、伝統的習俗と化した本件各地蔵像を建立、移設し、これを維持、運営していることは何んら仏教その他特定の宗教を援助、助長、促進しているものではなく、また、右認定事実に併せ、本件各地蔵像の建立、移設後における日常の維持管理や地蔵盆行事等の運営が主として有志からの寄附金と賽銭によつて行われ、意に反する者から寄附金の徴収を強制することがないことをも考慮すれば、本件町会等が自主的に本件各地蔵像を維持、運営していることは、他の宗教に対する圧迫、干渉等になるものではないと認められる。

そのうえ、前記認定事実によると、多神教に基づく日本人の宗教観念では、信仰する神仏の多様性から、地蔵信仰も教義教典の枠をこえて民間信仰の対象となり、その普及によつて日本人の生活の中にたやすく溶け込み、本来の信仰とは異質のものを形づくり、そうした古来からの民間信仰に基づく行為は現在ではもはや伝統的習俗と化して特定の宗団、宗派を超えて一般に広く受け入れられ、許容されて日本人の精神文化の一端を占めるに至つているのであつて、特定の宗団、寺院に関係のない石地蔵像は道端、峠、野原等公有地、私有地の別を問わず全国の至る所に無数に存在しているのが現状である。

以上の諸事情を総合すると、大阪市が各町会に地蔵像の敷地として市有地を無償貸与した行為は、宗教とかかわり合いをもつものであることは否定しえないけれども、その目的はもつぱら世俗的なものであり、その効果も仏教等特定の宗教を援助、助長、促進し、又は他の宗教に圧迫、干渉を加えるものとは認められないのであるから、前判示の我国における一般的宗教観念や地蔵信仰の習俗化に関する現在の状況等に照らせば、大阪市の右各行為は、宗教とのかかわり合いが我国の社会的、文化的条件からみて相当とされる限度を超えるものということはできず、憲法二〇条三項により禁止される宗教的活動には当らないといわなければならない。

3  また、憲法八九条は「宗教上の組織若しくは団体」に対する公の財産の支出又は利用を禁止しているものであるが、前認定のとおり、本件町会等の性格、目的は、地域住民で構成された組織体として、地域社会の福祉の増進と発展等を図るというもので、本件町会等が信仰について意見の一致する者によつて組織されたものではなく、まして地蔵信仰等仏教信仰を目的とする団体ではないし、本件町会等が本件各地蔵像を維持、運営することは宗教的色彩の稀薄な伝統的習俗的行為であつて、特定の宗教を布教、宣伝する宗教的活動とは認められないのであるから、本件町会等は、同条に定める「宗教上の組織若しくは団体」に該当するものではない。したがつて、大阪市が各町会に地蔵像の敷地として市有地を無償貸与する行為は、前認定の右行為の目的、効果、貸与地の面積、規模、本件町会等による本件各地蔵像の維持、運営の目的、効果、並びに地蔵信仰の習俗化についての今日的状況等を総合すれば、特定の宗教組織又は宗教団体に対する財産の支出又は利用とはいえず、憲法八九条に違反するものではない。

4  以上の次第で、大阪市が各町会に対して地蔵像建立、移設のため市有地の無償使用を承認した行為は、地蔵像の本来の性格、由来からみて宗教とかかわり合いをもつものであることを否定しえず、国又は地方公共団体は、信教や良心に関する事柄で、社会的対立ないしは世論の対立を生ずるようなことは避けるべきであるとの観点からすると、やや配慮に欠ける面があつたといわざるを得ないけれども、右各行為が憲法二〇条三項、八九条に違反する行為であるということはできず、地方自治法二条一五項にも違反するものではない。

したがつて、大阪市の右各行為が違法であることを前提とする原告らの請求はいずれも理由がない。

三  よつて、原告らの請求をいずれも棄却し、訴訟費用の負担につき行訴法七条、民訴法八九条、九三条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 山本矩夫 高橋正 村岡寛)

物件目録〈省略〉

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